この記事は、全7部構成のシリーズの第6部です。
第1部から第4部ではウイルス侵入後の免疫システムの働きを、第5部では手洗い・うがいなどの具体的な予防方法を調べてきました。
第6部では、ウイルスを物理的に遠ざけるための「環境づくり」に注目します。
人との距離の取り方や換気の効果について、事実に基づいた情報を整理しました。
ウイルスは、咳やくしゃみ、会話などで飛び散る「飛沫(ひまつ)」や、それが乾いて軽くなった「飛沫核」として空気中を移動します。
では、周囲とどれくらいの距離を保ち、どのように換気を行えばリスクを下げられるのでしょうか。
かつて推奨された「2メートル」という基準は、20世紀前半の観察研究をもとにしたものだと言われています。
当時の観測では、多くの大きめの飛沫が1〜2メートル以内に落下したため、「2メートル離れれば比較的安全」と考えられてきました。
一方で、近年の高速カメラや流体解析を使った研究からは、咳やくしゃみの勢い、空気の流れ、湿度などの条件によっては、一部の飛沫やそれを含んだ気体の塊が6〜8メートル先まで到達しうるケースも報告されています。
つまり、2メートルは決して「完全に遮断できる距離」ではなく、「近づきすぎないための最低限の目安」として捉えておくのが現実的だと言えそうです。
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)について、どこで感染が起きたかを調べた複数の報告をまとめた研究では、屋内での感染の起こりやすさは屋外と比べておよそ18.7倍高かったとされています。
また、その分析では、報告されたケースのうち、屋外で起きた感染は全体の1割未満だったことも示されています。
屋外では空気が常に四方に動いているため、たとえ誰かが咳をしても、ウイルスは比較的すぐに風に運ばれて薄まりやすくなります。
一方で、閉鎖された室内では、細かい飛沫が空気中にとどまりやすく、同じ空間に長くいるほど、そこにとどまるウイルスを吸い込む機会も増えてしまいます。
外からのウイルスを恐れて窓を閉め切ってしまうよりも、積極的に窓を開けて室内の空気を停滞させないことの方が、体にとっては合理的な対策と言えます。
換気が十分に行われているかを知るヒントになるのが、空気中の二酸化炭素(CO2)濃度です。
二酸化炭素の単位は「ppm(ピーピーエム)」で表され、これは「空気の中に、どれくらい二酸化炭素が混ざっているか」という割合を示す数字です。
- 外の新鮮な空気: 約400 ppm
- 換気が良い室内の一つの目安: 1,000 ppm以下
人間は呼吸によって二酸化炭素を出すため、この数値が上がれば上がるほど「誰かが吐き出した空気が部屋に溜まっている」というサインになります。
1,000 ppmを大きく超えてくると、空気の入れ替えが追いついていない状態だと判断でき、実際に結核の集団感染を起こした大学の建物では、CO2濃度が1,000 ppm未満になるように換気を改善したところ、新たな感染者が大きく減ったという報告もあります。
もちろん、自宅で正確な二酸化炭素濃度を測るのは簡単ではありませんが、「人数が多い部屋で空気がこもっていないか」を考える目安として、CO2は参考になる指標と言えます。
窓を開ける際、その「数」よりも「位置」が重要であることを示す研究やシミュレーションがあります。
たとえばバスのような限られた空間で感染者がいたと想定し、「どの窓を開けると、吐き出された空気が効率よく外に出ていくか」を調べたシミュレーションや実験(神戸大学など)では、次のような結果が報告されています。
- 感染者の「一つ前の列」の窓を開ける:その人の吐いた空気が、すぐ後ろではなく前方に流れて外へ出ていきやすくなり、最も効率的にウイルスが外へ排出されるとされました。
- 対角線上の窓を開ける:空気が部屋全体を通り抜ける「通り道」ができるため、窓を1カ所だけ大きく開けるよりも、複数の窓を対角線上に少しずつ開けた方が、排出の効率が良いと示されています。
つまり、ただ窓を開けるだけでなく、「空気がどこから入って、どこから抜けていくか」というルートを意識することが、排出の質を左右するわけです。
自宅や職場でも、可能な範囲で「入口と出口」を作るイメージで窓を開けてみると、同じ「窓を開ける」でも効果が変わってくるかもしれません。
今回は、人との距離の取り方や換気の具体的な方法について整理しました。
僕はこれまで、湿度の低下については「乾燥すると喉が痛くなりそうだ」という漠然とした感覚を持っていました。
第1部でも触れましたが、乾燥した空気の中では、飛沫の水分が早く蒸発して軽くなり、「飛沫核」と呼ばれる状態になって空気中を長く漂いやすくなることが分かっています。
この物理的な仕組みを知ってからは、「単に喉がカサカサする」のではなく、「空気の状態がウイルスの漂いやすさを変えている」と考えられるようになり、リスクの捉え方が変わりました。
換気に対する考え方も整理できました。
外で誰かが咳をしていると、どうしても「窓を閉めなきゃ」と思ってしまっていましたが、屋外の空気はすぐに薄まるという傾向があること、屋内では空気がこもることでリスクが上がりやすいことを知って、むしろ空気の通り道を作って室内のウイルス濃度を下げ続けるほうが、結果的には自分のためになるんだと納得しています。
自宅で正確な二酸化炭素濃度を把握するのは簡単ではありませんが、開ける窓の位置を工夫するだけで排出の効率が大きく変わる、という知識はこれからの生活に役立ちそうです。
環境を整えてウイルスの密度を下げることは、免疫システムの負担を減らすという、直接的なサポートにつながります。
そう捉えると、日々の換気もこれまでよりずっと意味のあるものに感じられるかもしれません。
- 咳・くしゃみによる飛沫の到達距離とガス雲モデルBourouiba L. Turbulent gas clouds and respiratory pathogen emissions: potential implications for reducing transmission of COVID-19. JAMA. 2020.
- 呼気中の飛沫・エアロゾルの物理と空気中での挙動Katre P, et al. Fluid dynamics of respiratory droplets in the context of COVID-19. Int J Numer Method Biomed Eng. 2021.
- 屋内と屋外における感染リスクの違い(18.7倍の推計を含むレビュー)Public Health Ontario. COVID-19 transmission through short and long-range respiratory particles. 2022.Bulfone TC, et al. Outdoor transmission of SARS-CoV-2 and other respiratory viruses: a systematic review. J Infect Dis. 2021.Evidence Synthesis Network. Indoor versus outdoor transmission of COVID-19. 2021.
- 屋内と屋外の感染リスクに関する総説・解説Senatore V, et al. Indoor versus outdoor transmission of SARS-CoV-2: environmental factors in virus spread. Environ Res. 2021.
- CO2濃度(ppm)と換気の目安Du C, et al. Effect of ventilation improvement during a tuberculosis outbreak in underventilated university buildings. Indoor Air. 2020.National Collaborating Centre for Environmental Health. Indoor CO2 sensors for COVID-19 risk mitigation: current guidance and limitations. 2021.Dräger. The role of CO2 in monitoring the safety of indoor air. Technical document. 2021.
- 飛沫・飛沫核(エアロゾル)による近距離・遠距離伝播の整理Public Health Ontario. COVID-19 transmission through short and long-range respiratory particles. 2022.Setti L, et al. Airborne transmission route of COVID-19: why 2 meters/6 feet of inter-personal distance could not be enough. Int J Environ Res Public Health. 2020.
- 自然換気(窓開け)と空気の流れ・換気戦略Du C, et al. Effect of ventilation improvement during a tuberculosis outbreak in underventilated university buildings. Indoor Air. 2020.Guo M, et al. Natural ventilation strategy and related issues to prevent coronavirus disease 2019 (COVID-19) airborne transmission in a school building. Sci Total Environ. 2021.
- バス車内など限られた空間での空気の流れと窓位置の影響(シミュレーション)バス車内における換気と飛沫拡散に関する数値シミュレーション研究(神戸大学ほか、Indoor Air / Sci Total Environ などの関連論文)