第1部から第4部までは、ウイルスが体の中に侵入してからの「攻防」を中心に見てきました。
凄まじい勢いで増えようとするウイルスに対し、体がどれほどのエネルギーを使い、どのような戦略で戦っているのかが見えてきました。
第5部では、視点を変えて、そもそもウイルスを体内に入れないための「水際対策」について整理します。
手洗い、アルコール消毒、そしてうがい──これらが物理的にどうウイルスを退けているのかを、できるだけイメージしやすい形で見ていきます。
第1部でも触れたように、ウイルスは「手」を通じても体内に侵入します。
例えば、咳を手で押さえた人がドアノブやスマホに触れると、そこにウイルスが移ります。
次に別の人がそこを触り、その手で無意識に目や鼻に触れることで、ウイルスが粘膜に到達してしまいます。
観察研究では、人は1時間に平均して20回前後、無意識に顔を触っていると報告されています。
手にウイルスが付着していると、知らないうちに自分の粘膜へ運んでしまうリスクがある、ということになります。
- プラスチック・ステンレス:数時間〜最大3日程度生存することがある
- ガラス:数時間〜数日程度生存するという報告もある
- 段ボール・紙:おおよそ1日前後で感染性が大きく低下することが多い
条件によって幅はありますが、身近なスマホやドアノブが、ウイルスにとっても比較的「居心地のよい」場所になりうる、というイメージは持っておいてもよさそうです。
石けんで洗うことは、ウイルスを物理的に流すだけでなく、構造そのものを分解して無力化する働きも持っています。
ここで言う「石けん」には、固形のものだけでなく、普段使っているハンドソープも含まれます。
どちらにも「界面活性剤(かいめんかっせいざい)」という、脂を溶かして水と混ざりやすくする成分が入っているからです。
インフルエンザや新型コロナウイルスは「エンベロープ」という脂の膜に包まれたタイプのウイルスです。
石けんの分子はこの膜に触れると、ざっくり次のようなステップで作用すると考えられています。
- 割り込む: 石けんの分子が、ウイルスの膜の隙間に入り込む。
- こじ開ける: 膜の隙間を押し広げるようにして、構造を引き裂く。
- 分解する: 形を保てなくなった膜が壊れ、ウイルスがバラバラになる。
こうして感染する力を失ったウイルスの破片が、水と一緒に流れ落ちていきます。
これが、石けんでの手洗いが勧められる科学的な理由の一つです。
手洗いの効果を数字で見てみると、その重要性がより実感しやすくなります。
研究では、石けんと水で20秒前後しっかり洗うと、手についた細菌やウイルスがおよそ95〜99%以上減らせることが報告されています(条件によって幅があります)。
ここでは、イメージしやすいように、代表的な目安として整理しておきます。
- 流水で15〜20秒: 手についた病原体が、おおよそ90〜99%ほど減るとされています
- 石けんで10秒+流水15〜20秒: 条件にもよりますが、99%以上減らせるケースが多いと報告されています
- 同じ工程を2回繰り返す: よりしっかり減らしたいときに役立つ方法
もともとのウイルスの数が数万、数百万単位であることを考えると、石けんを使って丁寧に洗うことで、「かなりの部分を洗い流せる」とイメージしておくとよさそうです。
また、指先や爪の間、親指の付け根、そして忘れがちな「手の甲」や「手首」まで、意識して洗うこともポイントになります。
手が荒れて痛むようなときは、無理に石けんで何度も洗う必要はありません。
肌のバリアが壊れると、かえってウイルスや細菌が入り込みやすくなってしまうため、手のコンディションに合わせて「石けん洗い」と「流水中心」を使い分けていくことも大事な工夫だと思います。
アルコールも、石けんと同じくウイルスの膜を壊すことで不活化させますが、「濃度が高ければ高いほど良い」というわけではありません。
- 100%に近いアルコール: 蒸発が非常に早く、ウイルスに触れている時間が短くなりがちです。また、細菌などでは外側のたんぱく質を急激に固めて「殻」のような状態を作り、中まで十分に浸透しにくくなることが指摘されています。
- 70%前後のアルコール: 水分が含まれているため蒸発が遅く、ウイルスや細菌の中までじっくり浸透してたんぱく質を変性させ、確実に壊しやすくなります。エタノールでは60〜80%程度が、エンベロープを持つウイルスに対して高い有効性を示す濃度とされています。
このように、濃度による働きの違いには、きちんとした理由があります。
「70%前後」がよく推奨されるのは、単に中間だからではなく、最もバランスが良い範囲だから、と考えると納得しやすいかもしれません。
手洗いとセットで考えたいのが「保湿」です。
荒れてひび割れた皮膚は、ウイルスや細菌がとどまりやすい場所になるからです。
- 手荒れの影響: 乾燥して肌のバリアが壊れると、その溝に病原体が入り込み、手洗いでは落ちにくくなる可能性があります。
- 保湿の効果: クリームなどで肌の表面を滑らかに保つことで、ウイルスや汚れが引っかかる溝を減らし、手洗いでさっと洗い流せる状態を維持しやすくなります。
肌のバリアを整えておくことは、ウイルスを「居座らせない」ための物理的な対策の一つです。
頻繁に手洗い・消毒をする時期ほど、ハンドクリームをセットで使ってみるのも良いかもしれません。
手洗いと並んで一般的なのが「うがい」ですが、実は何で行うか、どの程度の頻度で行うかによって、その意味合いが変わってきます。
京都大学の研究チームが行ったランダム化比較試験では、うがいの習慣と上気道感染症(いわゆる風邪)の発症率について、次のような結果が報告されています。
- うがいなし(コントロール): 基準
- 水うがい: 発症率がおよそ40%近く低下
- ポビドンヨード(イソジン)うがい: コントロール群と大きな差はみられず
意外なことに、「予防」という観点では、薬液(イソジンなど)よりも、ただの「水」でのうがいが最も効果的だった、という結果になっています。
イソジンには強い殺菌作用がありますが、日常的な予防目的で頻繁に使うと、喉の「常在菌(じょうざいきん)」まで一緒に減らしてしまう可能性があります。
喉の粘膜には、病原体の侵入を防ぐ「良い菌」も定着していて、第2部で触れた粘膜のバリアと一緒に、第一関門として働いています。
ここを強い薬液で何度も洗い流すと、防御の布陣を自分で崩してしまうイメージです。
使い分けの目安は、次のように整理できます。
- 健康なとき(予防): 水うがいを1日4〜5回行い、常在菌を守りながら粘膜表面をリセットする。
- 喉が明らかに痛いとき(治療・対症): すでに感染が起きているため、医師の指示や用法用量を守ったうえで、イソジンの殺菌作用で炎症を抑える選択肢もある。
このように、状態に合わせた「使い分け」を意識しておくと、喉のバリアを必要以上に弱らせずにすみそうです。
うがいには、口の中の雑菌を喉に送り込まないための正しい順序があります。
- クチュクチュうがい(口内): まず少量の水で口の中を10秒ほどゆすぎ、吐き出します。これで口の中の細菌や汚れをあらかじめ減らします。
- ガラガラうがい(喉): 次に水を含んで上を向き、喉の奥で15秒ほどガラガラと音を立ててゆすぎます。これを2〜3回繰り返します。
先に口の中をきれいにせずに喉のうがいをすると、口内の汚れを喉の奥へ運んでしまうことになります。
この2段階を意識するだけでも、うがいの「質」が少し上がるかもしれません。
- 塩水うがい: 温水コップ1杯に塩小さじ1/4〜1/2程度を溶かして行う方法です。塩の浸透圧による脱水作用が、喉の腫れや痛みを和らげるのに役立つと考えられています。ただし、やりすぎると粘膜を乾燥させてしまうため、目安として1日3回程度までにしておくと安心です。
- 緑茶うがい: 緑茶に含まれるカテキン類が、ウイルスの細胞への侵入を妨げる可能性が指摘されています。うがいに使うだけでなく、「日常的に緑茶を飲む習慣」をもつことも、ゆるやかに免疫をサポートする選択肢になりえます。
いずれの方法も、「これさえやっていれば絶対に感染しない」というものではありませんが、無理のない範囲で取り入れてみる価値はありそうです。
うがいも、頻度が多すぎると喉の粘膜を傷つけたり、乾燥を招いたりして、防御機能を下げてしまう可能性があります。
特に、濃い薬液で何度も行うと、粘膜への刺激が強くなりがちです。
水うがいであっても、「起床後」「帰宅後」「就寝前」などを中心に1日4〜5回程度に留めておくのが、一つの目安になりそうです。
喉がヒリヒリする、かえって乾燥感が強い、といったサインが出ているときは、頻度を少し減らしてみるのもいいかもしれません。
この記事では、手洗い・消毒の仕組みとうがいの適切な方法について整理しました。
石けんがウイルスの膜を分解することや、アルコールは濃度が高すぎるとかえって浸透しにくくなることなど、仕組みを知ることで「なぜこれをやるのか」が少しクリアになった気がします。
これまでは「とにかくハンドソープを使わなければ」と気負っていましたが、流水だけでも多くのウイルスを減らせるという事実は、少し気持ちを楽にしてくれます。
状況に応じて、「今日は手が荒れているから、流水メインにしておこう」といった柔らかい調整も、十分に意味があると感じるようになりました。
また、イソジンによる過度なうがいが、喉を守る常在菌まで減らしてしまう可能性がある、という視点は、自分の習慣を見直すきっかけになりました。
今後は「普段は水うがい、違和感があるときだけ薬液」というように、状態に合わせた使い分けを意識してみようと思っています。
細かな判断は、自分だけでは迷う場面も多いですし、不安になる日もあるかもしれません。
そんなときは、体の反応をよく観察しながら、自分にとって無理のないケアの形を探していくこと、必要に応じて医師や専門家に相談してみることも、一つの安心材料になりそうです。
- 手洗いによる病原体の減少率(石けん+水での除去、秒数のイメージ)→ Hilton SP, Gibson L, Conrad A, et al. Efficacy and effectiveness of hand hygiene-related interventions on acute respiratory infections and diarrhoeal diseases: a systematic review and meta-analysis. BMJ Glob Health. 2025.
- 石けんによるウイルス・細菌除去(「エンベロープを壊す」「洗い流す」仕組み)→ Conover DM, Gibson KE. Comparison of two plain soap types for removal of bacteria and viruses from hands with a focus on food service environments. Food Control. 2016.
- アルコール濃度とウイルス不活化(60〜80%エタノールが有効、70%前後が推奨される理由)→ Kampf G. Efficacy of ethanol against viruses in hand disinfection. J Hosp Infect. 2018.
- エタノールのウイルス不活化スペクトラム(エンベロープウイルスへの有効性の総説)→ Eggers M. Ethanol is indispensable for virucidal hand antisepsis. Future Microbiol. 2022.
- 手指衛生の基本的推奨(時間・手順・保湿の重要性の背景)→ Boyce JM, Pittet D. Guideline for Hand Hygiene in Health-Care Settings. MMWR Recomm Rep. 2002.
- 水うがいと上気道感染症の予防効果(京都大学ランダム化比較試験)→ Satomura K, Kitamura T, Kawamura T, et al. Prevention of upper respiratory tract infections by gargling: a randomized trial. Am J Prev Med. 2005.
- うがいの費用対効果・回数の目安(公衆衛生的な位置づけ)→ Ide K, Yamada H, Kawasaki Y, et al. Cost-effectiveness of gargling for the prevention of upper respiratory tract infections. BMC Health Serv Res. 2008.
- 塩水うがいの効果(頻度の目安・粘膜への影響の参考)→ Alander T, Wilson P. The Effectiveness of Saltwater Gargling on the Prevention of Upper Respiratory Tract Infections. J Osteopath Fam Physician. 2021.
- 緑茶(カテキン)うがいとウイルス感染予防の可能性→ Jang YJ, Kwon HJ, Lee BJ, et al. An exploratory randomized controlled study to evaluate green tea gargling in the prevention of influenza infection. Biol Pharm Bull. 2024.
- 顔を触る回数と接触感染のイメージ(「1時間に20回前後」の根拠)→ Nicas M, Best D. A study quantifying the hand-to-face contact rate and its potential application to predicting respiratory tract infection. J Occup Environ Hyg. 2008.