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2020年、山梨大学の中尾篤人さん・中嶋正太郎さんらの研究グループが、ヨーロッパのアレルギー学会誌(Allergy)に興味深い研究を発表しました。
「前向きな感情に関わる脳の仕組みを活性化させると、アレルギー反応が弱まる」という内容です。
実験は3段階で行われています。
まず1つめの実験では、マウスの脳にある「中脳腹側被蓋野(VTA)」という領域を人工的に活性化させました。
VTAは、何かうれしいことや楽しいことがあったときに活発になる場所で、ドーパミンという物質を放出する神経細胞が集まっています。
ドーパミンは「快感」や「やる気」に関わる脳内物質として知られています。
このVTAを活性化させたマウスでは、皮膚のアレルギー反応が有意に弱まりました。
2つめの実験が特におもしろくて、マウスに「水」と「サッカリン溶液(甘い水)」の2つを自由に選ばせたところ、マウスは甘い水を好んで飲みました。
この自発的に甘い水を楽しんでいるマウスでも、アレルギー反応が弱まったのです。
ここで大事なのは対照実験で、同じ量のサッカリンをチューブで胃に直接入れた場合は、アレルギー反応に変化がありませんでした。
甘い物質を体に入れたこと自体ではなく、「自分から進んで楽しんだ」という行為がポイントだったということです。
3つめの実験では、ドーパミンの前駆体(材料になる物質)であるL-ドーパを投与して脳内のドーパミンを増やしたところ、やはりアレルギー反応が弱まりました。
末梢のドーパミンではなく、脳の中のドーパミンが重要であることも確認されています。

ただし、この研究の著者自身が大事な留保をつけています。
「VTAの活性化が必ずしもポジティブな感情を証明するわけではない」ということです。
VTAの活性化と感情の関係は複雑で、動物実験では感情そのものを測定するのが難しい。
あくまで「脳のドーパミン報酬系を活性化させるとアレルギー反応が弱まる」ことを示した研究であって、「楽しい気持ちでいれば花粉症が治る」という話ではありません。
僕の「裏のない人は花粉症じゃない気がする」という直感を、もう少し掘り下げてみます。
心理学には「アレキシサイミア(失感情症)」という概念があります。
自分の感情をうまく認識できない、言葉にできないという傾向のことです。
感情がないわけではなく、感じているのにそれを自覚したり表現したりするのが苦手な状態を指します。
「裏がある」という表現とぴったり重なるわけではありませんが、感情を外に出さず内側に抑え込む傾向という点では、近い部分があります。
そしてアレキシサイミア傾向が強い人は、関節リウマチ、過敏性腸症候群、慢性的なかゆみなど、免疫や自律神経が関わるさまざまな身体症状との関連が報告されています。
感情を言葉にできない分、体のほうに症状として現れやすい、というのが現在の主な仮説です。
ただし、花粉症(アレルギー性鼻炎)に限定した疫学データは、調べた範囲では見つかりませんでした。
「アレキシサイミアの人は花粉症になりやすい」とは、現時点では言えません。
一方で、ストレスと免疫の関係についてはもう少し具体的なデータがあります。
科研費の研究プロジェクトでは、精神的なストレスが交感神経を介して単球(免疫細胞の一種)の遺伝子発現を変化させ、炎症を鎮める役割を持つ細胞(抗炎症マクロファージ)の働きを低下させることが明らかにされました。
さらに注目すべき点があって、一度ストレスを受けると、その後ストレスのない環境に戻しても、単球の遺伝子発現の異常が保たれ続けるという現象が確認されています。
ストレスの影響が一時的なものではなく、免疫細胞に「刻み込まれる」可能性があるということです。

また、精神的なストレスが制御性T細胞(前回の記事で触れた、免疫のブレーキ役)を抑制するという研究もあります。
制御性T細胞が弱まると、花粉に対する免疫の過剰反応を止められなくなる。腸活の記事で書いた話と根っこは同じで、ブレーキが効かなくなるという問題です。
ここまでは「メンタルの状態が花粉症に影響する」という方向の話でしたが、逆方向の因果もあります。
花粉症そのものがメンタルを悪化させるという研究です。
2026年のクリニックフォアの調査(309人)では、花粉症の人の94%が仕事のパフォーマンスが落ちたと感じていて、花粉シーズン中のパフォーマンスは平均で通常の54%まで低下していました。
1シーズンあたりの生産性損失は、1人あたり約8営業日分に相当するとされています。
メンタル面への影響も数値として出ていて、アレルギー性鼻炎の患者は、そうでない人と比べて不安スコアが平均で3.1ポイント高く、うつスコアが3.8ポイント高いという海外の研究があります。
これが意味しているのは、花粉症の影響は鼻水や目のかゆみだけではないということです。
花粉症で体がつらい → 仕事に集中できない・気分が落ち込む → 慢性的なストレスが溜まる → ストレスが免疫のバランスを崩す → 花粉症がさらに悪化する。
こういう双方向のループが回っている可能性があります。
最後に、少し変わった研究を紹介します。
大阪府寝屋川市の木俣肇さん(木俣肇クリニック院長)は、笑いや愛情表現がアレルギー反応に与える影響を一連の実験で調べていて、この研究で2015年のイグ・ノーベル賞(医学賞)を受賞しています。
イグ・ノーベル賞は「まず笑わせ、そして考えさせる」研究に贈られる賞です。
木俣さんの実験の一つでは、アトピーやアレルギー性鼻炎の患者にチャップリンの映画『モダン・タイムス』(87分)を見せたところ、アレルギー反応が弱まりました。
対照として天気予報のビデオを同じ時間見せた場合は、変化がありませんでした。

別の実験では、アレルギー患者に30分間パートナーとキスをしてもらったところ、ダニやスギ花粉に対する皮膚のアレルギー反応が弱まり、アレルゲンに対するIgE抗体(アレルギー反応を引き起こす抗体)の量も低下したことが報告されています。
ただ抱擁するだけの場合は効果がなく、キスという行為が鍵だったとされています。
木俣さんの研究グループは、愛情や親密さによるポジティブな感情がオキシトシンやドーパミンの系統を活性化し、それがアレルギー反応を抑制していると解釈しています。
最初に紹介した山梨大学の「ドーパミン報酬系がアレルギー反応を抑える」という研究と、方向性が一致しています。
花粉症と食事の関係を調べ始めて、悪化させる食べ物、和らげる食事、そしてメンタルとの関係と、3本の記事を書いてきました。
最初のきっかけは、たまごサンドを食べた翌日に症状がひどくなったという個人的な体験でした。
そこから調べていくうちに、ヒスタミンのバケツ理論、加熱しても消えないGRPアレルゲン、腸内細菌がつくる短鎖脂肪酸と免疫の関係、そしてドーパミン報酬系とアレルギーの研究まで、思っていた以上に幅広い世界が広がっていました。
「裏のない人は花粉症じゃない気がする」という僕の直感は、直接証明する研究こそ見つかりませんでしたが、ポジティブな感情と免疫の関係、ストレスと免疫の関係については、それぞれ裏付けとなるデータが出てきています。
因果関係を断定するには早いとしても、花粉症は薬と食事だけの問題ではなく、心の状態ともつながっているのかもしれません。