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お茶の起源として有名なのが、中国の神農(しんのう)の伝説です。
神農は、古代中国で「百草を嘗めた」と言われる伝説上の人物で、さまざまな植物を自分の体で試して、薬になるものと毒になるものを見分けていたとされています。
伝説によると、神農がたき火でお湯を沸かしていたとき、近くの木から葉っぱがひらひらと落ちて、たまたまお湯の中に入ってしまった。
そのお湯を飲んでみたところ、香りがよく、少し苦みがあり、飲んだあとに頭がスッキリした。
これが「お茶」の始まりだったとされています。
もちろん、これは伝説であって、歴史的な事実として確認されているわけではありません。
ただ、「偶然、葉っぱがお湯に入った」「飲んでみたら、なんかよかった」という流れは、お茶の始まりとしてかなり現実的なイメージだと思います。
最初から「成分を抽出しよう」と考えていたわけではなく、たまたま起きたことに対して「お、これはいいぞ」と体で感じた。
そこからすべてが始まった、というわけです。

コーヒーにも、似たような起源の伝説があります。
エチオピアのカルディという羊飼いが、あるとき、自分のヤギたちがやたらと元気に動き回っているのに気づきました。
観察してみると、ヤギたちは赤い実をむしゃむしゃ食べていた。
カルディ自身がその実を口にしてみると、体がシャキッとして、疲れが和らぐような感じがした。
そこから、この赤い実が人々のあいだに広まり、やがて焙煎して砕き、お湯に入れて飲むスタイルへと変わっていったとされています。
こちらも伝説ではありますが、お茶と共通しているのは、「偶然の観察」と「自分で試してみた」という2つのステップです。
理論ではなく、「体で感じたこと」がきっかけだった、という点がよく似ています。

お茶やコーヒーが偶然から始まったとしても、「植物をお湯に入れてみる」という発想自体は、当時の人にとってそこまで突飛なものではなかったようです。
世界各地に、古くから「薬草をお湯で煮出す」という習慣がありました。
中国の漢方では、複数の生薬を組み合わせて煎じる「煎じ薬」が基本的な処方のひとつです。
インドのアーユルヴェーダでも、ハーブや香辛料を煮出した飲み物が広く使われてきました。
ヨーロッパでも、ハーブティーや煎じ薬の歴史は長く、薬草を熱い湯で浸したり煮出したりする方法がごく一般的でした。
肉や野菜を煮込んでスープを作る文化も、とても古くからあります。
「煮汁にうま味や力が出る」という感覚は、多くの地域で共有されていました。
だから、気になる植物があったとき、「そのままかじる」「焼いてみる」「水に浸ける」「お湯で煮る」といった方法を順番に試すのは、ごく自然な流れだったのだと思います。

いろいろな試し方があった中で、お茶もコーヒーも、最終的に「お湯で淹れて飲む」形が残りました。
理由はいくつかあったのだろうと思います。
ひとつは、味と香りの問題です。
茶葉をそのままかじると渋みが強すぎますし、コーヒー豆をそのまま噛むとかなりの苦みがあります。
お湯で抽出すると、成分が水で薄まって、ちょうどいい味わいになります。自分の好みに合わせて、濃さを調整できるのもお湯ならではです。
香りも、温度が高いほうがよく立ちます。お茶の青い香り、コーヒーの焙煎香は、お湯で淹れることでぐっと引き出されます。
もうひとつは、生活の中での使いやすさです。
飲み物であれば、食事のときにも、仕事の合間にも、一息つきたいときにも手軽にとれます。
温かい飲み物は体を温めてくれますし、「一杯淹れる」という行為そのものが、気持ちを切り替える小さな習慣になりやすい。
葉っぱをかじったり豆を噛んだりするのに比べると、飲み物のほうがずっと日常に馴染みやすかったのだと思います。

もうひとつ興味深いのは、お茶もコーヒーも、最初は「薬」に近い位置づけだったという点です。
お茶は中国で、解毒や疲労回復のための薬草として使われていた記録があります。
頭を冴えさせたり、体の余分なものを流したりする「薬っぽい飲み物」として、僧侶や学者に重宝されていました。
それが時代を経るうちに、薬としてだけでなく、味や香りを楽しむ嗜好品として、広い層に浸透していきました。
コーヒーも、中東で修道僧が夜の祈りの際に「眠気覚まし」として飲んでいたと言われています。
長い時間の祈りや学問のお供として広まり、やがてカフェという場所が生まれ、人々が集まって会話を楽しむ文化へとつながっていきました。
どちらも、「体に良い効果がある薬」から「毎日飲みたくなる嗜好品」へ、という道筋をたどっています。
最初は「効き目」で選ばれて、やがて「美味しさ」と「習慣の心地よさ」で定着していった、という流れです。
「お湯で淹れて飲む」というスタイルは、誰かが計画的に発明したものではないようです。
偶然の発見があり、すでに「植物を煮出す」という文化があり、飲んでみたら美味しくて体にもよかった。そのまま食べるよりも味がやわらかく、生活の中にも組み込みやすかった。
そうした条件が重なって、自然に定着していったのだと思います。
今の我々が毎朝コーヒーを淹れたり、食後にお茶を飲んだりしているのは、何千年もかけて続いてきた「飲んでみたら、よかったから」の延長線上にある。
そう思うと、いつもの一杯が少しだけ違って見えてくるかもしれません。