
目次
二つの教えは、ただ違うことを言っているわけではありません。
同じものに対して、正反対の指示を出しています。だからこそ、どちらかに決めたくなります。
禅やマインドフルネスの本は、未来への執着を手放しなさいとすすめます。
先のことをあれこれ思い描くより、今、目の前にあることに意識を戻すほうがいい、という立場です。
一方で引き寄せ系の本は、望む未来を細部まで思い描きなさいとすすめます。
叶った状態を、今すでに起きていることのように感じる、という方法です。どちらの本も、「望んでいる未来とどう関わるか」という同じ問いに、正反対の答えを出しています。
片方は手放せと言い、もう片方は握れと言います。
たとえば、ブログを一本書く場面を考えてみます。禅的な構えでいけば、今書いている一文だけに集中して、アクセス数や先の評価は頭から外します。
引き寄せ的な構えでいけば、その記事が多くの人に読まれている未来を、ありありと思い浮かべます。
同じ「記事を書く」という行為に、まるで逆のアドバイスが重なります。
二つのうち片方を手放す前に、確かめておきたい点があります。
そもそも「イメージする」という行為は、いつも同じひとつのものなのかどうかです。

ここに、矛盾を解く最初の手がかりがあります。
「イメージ」とひとことで言っても、中身は二つに分かれます。
ひとつは、自分の意思と関係なく勝手にわいてくるものです。
もうひとつは、自分から意図して始めるものです。この二つを同じ「イメージ」として扱うと、話がこんがらがります。
皿を洗っているとき、明日の打ち合わせのことや、昨日言いそびれた一言が、ふっと頭に浮かびます。
呼んだわけではないのに、向こうからやってきます。そして気づいたときには、その考えに乗って、あれこれ先のことをめぐらせています。
これが、ひとりでに浮かんでくる雑念です。出てくるタイミングも内容も、自分では選んでいません。
一方で、こういう想像もあります。
「これから三十分、新しい記事の構成を考えよう」と決めて、机に向かいます。
どんな見出しにするか、どんな順番で話を運ぶかを、頭の中で組み立てていきます。
これは、自分でタイミングを決めて、自分から始めた想像です。何を思い描くかも、自分で選んでいます。雑念とちがって、舵を自分が握っています。
この二つを並べてみると、はっきり違います。
雑念は向こうからやってきて、自分は流される側にいます。
意図的な想像は自分から始めて、自分が舵を握っています。
出どころも、コントロールできるかどうかも、別ものです。
そうなると、次に確かめたいのは禅の側です。
瞑想が「手放しなさい」とすすめているのは想像力全体なのか、それとも雑念のほうだけなのか、というところを次に追っていきます。
雑念と意図的な想像は別ものだ、という話を先ほどしました。
これが思いつきでないかどうかを、二つの方向から確かめてみます。
ひとつは瞑想の伝統が長く言ってきたこと、もうひとつは近年の脳科学が測ってきたことです。
瞑想と聞くと、頭を空っぽにして思考を消す練習だと思われがちですが、瞑想がめざしているのはそこではありません。
頭に何かが浮かんだら、それに気づき、観察して、追いかけずに手放します。
これがマインドフルネスの中心にある考え方です。
思考が現れること自体は止められませんし、止めようともしません。
禅の研究にも、それを支える結果があります。
禅を長く続けてきた人を調べた研究では、雑念そのものが起きなくなるわけではありません。
頭をよぎった考えにかかわる脳の反応が、短い時間で収まるのです。
鍛えられているのは、思考を止める力ではなく、それに長く乗らずにいられる力です。
だから禅が「手放しなさい」と言うとき、その相手は、ひとりでに流れ込んでくる雑念のほうです。
自分から意図して何かを思い描く力まで、やめなさいと言っているわけではありません。
脳の働きを見ても、同じ線引きが出てきます。
雑念も、意図して行う想像も、どちらもデフォルトモードネットワークという脳の仕組みを使います。
これは、外向きの作業から手が離れているときに活発になるネットワークで、過去を思い出したり、先のことを思い描いたりするときに働きます。
ただ、同じネットワークを使っていても、使われ方は同じではありません。
自分から意図して何かを思い描くときは、このネットワークに加えて、注意を向ける働きや、考えを制御する働きを担うネットワークも一緒に動きます。
反対に、雑念のときは、その制御の働きの関与が小さくなります。
この比較のもとになった研究は、まだほかの研究者による確認を受けていません。
結論として固まったものではないのですが、意図的な想像は注意の制御をともない、雑念のほうは制御がうまく働いていない状態だ、という見方は、ほかの研究でも示されています。
先ほど、雑念と意図的な想像は、出どころも、自分でコントロールできるかどうかも違うと整理しました。
瞑想の伝統も、脳科学も、その線引きを別々の角度から裏づけています。
「手放す」対象は、あくまで雑念のほうです。
自分から意図して思い描く力は、手放す必要のないものとして残っています。
その力が実際にどう働くのかを、次に見ていきます。
意図して思い描くことには、はっきりした効果があります。それがいちばんよく表れているのが、スポーツの世界です。
試合の前に目を閉じて、自分の動きを頭の中でなぞる選手がいます。
これはイメージトレーニングと呼ばれる練習で、気休めではなく、効果が確かめられています。
頭の中でリハーサルをすると、脳が体を動かす準備を整えます。
実際には体を動かしていなくても、技能の学習がある程度まで進みます。
スポーツの分野では、この効果が数多くの研究で調べられてきました。
80を超える研究をまとめた分析では、イメージトレーニングが運動の技能や本番の成績を高めることが示されています。
それだけではありません。
別の分析では、緊張がやわらぎ、自信が高まる効果も確かめられています。
頭の中で思い描くことには、それだけの土台があります。
ただし、ここで効果が出ているのは、ある決まった使い方をしたイメージです。
イメージでありさえすれば何でも力になる、というわけではありません。
同じ「思い描く」でも、やり方によっては、結果がまるで変わってきます。

その「やり方の違い」がいちばんはっきり出るのは、これから話す使い方です。
望んでいることが、もうすっかり叶った場面を思い浮かべて、その気持ちよさにひたります。
引き寄せ系の本がすすめる「叶った状態を、今すでに起きていることのように感じる」というやり方も、ここに入ります。
一見すると、いちばん前向きで、効きそうに思えます。
ところが研究は、逆の結果を出しています。
心理学者のガブリエル・エッティンゲンさんは、長年この問題を調べてきました。
その実験では、望む未来がもう叶った姿を気持ちよく思い描くと、そのあとの達成度がかえって低くなる、とわかりました。
仕事を探すときも、試験に向けて勉強するときも、場面を変えて同じ傾向が確かめられています。
理由は、その気持ちよさそのものにあります。望みが叶った場面をありありと心に描くと、心も体も、それをもう手に入れたかのように受け取ります。
本当に手に入れたときに訪れるはずの安心感が、先に来てしまうのです。
すると、これから実際に動くための力が、出てこなくなります。頭の中で先に満足してしまうので、現実で頑張る必要が、感じられなくなります。
ここに、引き寄せのいちばん中心にある部分の弱さがあります。
「すでに叶った状態でいなさい」というすすめは、研究の上では、もっとも力を抜いてしまいやすい使い方です。
だからといって、未来を思い描くこと自体に意味がないわけではありません。
前章で見たとおり、意図的なイメージには確かな効果があります。
問題は、思い描いて終わりにしてしまうことです。
イメージの力を行動につながる形で使うにはどうすればいいのか、それを示した方法を、次に取り上げます。
ここまでで、矛盾の正体と、思い描くことの限界の両方を見てきました。
「叶った状態を思い描くだけだと、かえって力が抜けてしまう」ということを明らかにしたエッティンゲンさん自身が、その先に進むためのやり方も示しています。
それがWOOPと呼ばれる方法です。
WOOPは、四つの英単語の頭文字を取ったものです。
Wish(望み)、Outcome(結果)、Obstacle(障害)、Plan(計画)の四つで、これを順に書き出すだけのシンプルな手順です。
思い描くことを行動につなげるために、必要な要素がそろっています。
具体的にはこうなります。
まず、自分が達成したい願いをひとつ決めます。
次に、それが叶ったときのいちばんよい結果を、ありありと心の中に描きます。
ここまでは、引き寄せ系の本がすすめる「未来をイメージする」とほぼ同じです。
ここからが、ただのポジティブな空想と分かれるところです。
三つめでは、その願いをはばむ自分の内側の障害を、はっきり思い描きます。
続けたいのに続かない癖、つい先延ばしにしてしまう習慣、自信のなさ、そういった本当の壁です。
そして四つめで、「もしその障害が出てきたら、こうする」という対処の計画を、具体的に書き出します。
ここで、なぜWOOPが効くのかを見ておきます。
望む結果を思い描くだけのときは、頭の中で先に満足してしまって、動く力が抜けると話しました。
WOOPでは、望みのイメージと、それをはばむ現実とを、つづけて頭にのせます。
すると、心の中で叶っていない部分があらわになって、ここで自分が何かをしなければならない、という感覚が残るので、動く力も抜けません。
さらに、「もし障害が起きたら、こうする」という計画が、いざその場面が来たときの行動を準備します。
ここで興味深いのは、WOOPが「未来のイメージ」を捨てていないことです。
むしろ、二つめの「いちばんよい結果を描く」というステップは、引き寄せが大事にしているところと、ほとんど重なります。
捨てるのではなく、後ろに障害と計画を足すだけです。引き寄せの本のすすめが効くようにするには、この二つを足せばいい、と言いかえることもできます。
WOOPは、ダイエットや勉強の習慣、運動や対人関係まで、ばらばらの分野で効果が確かめられてきた方法です。
「叶った状態でいなさい」と「現実に手を動かしなさい」とのあいだに、ちゃんと橋がかかります。
WOOPは、矛盾を解くための具体的な方法でしたが、その下にはもっと根本的な見方があります。
「今ここ」と「目標を持って動く」は、もともと対立していない、という見方です。
心理学に、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(略してACT)と呼ばれる行動療法があります。
ACTで中心に置かれているのは「心理的な柔軟性」です。
これは、今この瞬間に十分に開かれていながら、自分が大事にしていることに沿って動ける、という心の状態を指します。
ACTでは、「目標(ゴール)」と「価値」を、はっきり分けて考えます。
目標は、達成すると終わって消えるものです。
たとえば「今年中に本を一冊書き上げる」は目標です。
達成したら、その目標は無くなります。
一方で価値は、達成して終わるものではありません。
「書くという仕事を通じて、読者の問題を解決する」は価値です。
これは、書き上げたあとも、次に書く文章でも、同じように体現していけるものです。
この区別がはっきりすると、見え方が変わります。
価値は、未来に置いてあるものではなく、今この瞬間に実践するものです。
ブログで読者の問題を解決する、という価値があるとして、それは「将来人気になったら」生きるのではありません。
今、目の前の一行を書くという行為そのものが、その価値を生きている瞬間です。
前のほうで、ブログを書く場面に、まったく逆のアドバイスが重なる、という話をしました。
禅的には今の一文に集中し、引き寄せ的にはまだ来ていない人気を思い描く、という具合でした。
ACTの見方で言うと、その対立はもともと薄いものです。
価値は今のこの行為のなかで生きているので、未来か今か、という二択にする必要がそもそもなかったわけです。
こうしてみると、二つの教えのあいだに引いていた線は、見方の問題だったとわかってきます。
次のセクションで、ここまでの話をつなぎ合わせます。

記事の最初に、二つの教えのあいだで迷っていた話を書きました。
片方に寄せたほうがすっきりするのではないか、と考えていたのです。
その答えは、もうおおむね出ています。寄せなくていい、ということです。
二つの教えのあいだに引かれていた線は、見方を少し変えるだけで、ぼやけてきます。
表面上は逆を向いていた「手放しなさい」と「思い描きなさい」は、それぞれ別のものに向けられた指示だったからです。
具体的にできることはシンプルで、場面に応じてモードを切り替えればいいだけです。
雑念がつぎつぎ頭をよぎって落ち着かないときは、瞑想のモードです。
出てきたものを観察して、追いかけずに流します。
新しいことを始めたいとき、進めたいことがあるときは、意図して思い描くモードです。
望む結果を心に描いて、そこからWOOPの手順で、障害と対処の計画を後ろに足します。
そして、そのモードの下にあるのが、自分の価値です。
書くこと、人と関わること、何かをつくること、自分が大事にしている方向は、未来の達成を待たなくても、今やっている行為のなかですでに生きています。
これがわかっていると、目の前のことに集中している時間と、未来の方向を見ている時間が、別々のものに見えなくなります。
二つの本は、どちらも本棚に置いたままでいいわけです。
本棚を眺めていてふと引っかかったあの感覚は、これで落ち着きました。
次に何かを進めたいことが出てきたら、WOOPの四つを順にノートに書き出してみると、それだけで十分な一歩になります。